小学4年生になるころ。
その頃も今と変わらず車が大好きで、両親からミニカーもたくさん買ってもらって、街中を走るスポーツカーには釘付けになっていました。
そんな中。
父親から、
「レーシングカート、乗らないか?」
と言われ、もちろん答えはYES。
父が高校生だった頃に、授業中にエンジン音が聞こえてきたサーキットがある…という話から、三重県のあるサーキットに連れて行ってもらい…。
サーキットにいた人にいろいろショップなどのお話も聞いて…。
そのコースでカートデビューをしました。
そのコースの愛称は、「見当山」。
見当山では、小学生4年生から23歳になる今…13年近く、沢山の事を学びました。
はじめてのカート走行も見当山。
真剣に速くなるために毎週練習して、さまざまな技能を磨いたのも見当山。
はじめての雨での走行も見当山。
はじめてのレースも見当山。
はじめての勝利も、はじめてのシリーズチャンピオンも見当山。
子供のクラスのTIAジュニアから大人のクラスYAMAHA-SSへ走り始めたのも見当山。
はじめてのレースでの大喧嘩も見当山。
たくさんの師匠、友達ができたのも見当山。
思い起こせば色んなことがあったし、家族で一緒に毎週のように練習して、悔しくて泣いて、嬉しくてはしゃいだ場所です。
そんなコースがついに、2020年2月をもって閉鎖となってしまいました。
そして、その最後の走行会に参加しました。
このコースは嫌なぐらい覚えてます。
考えてみると、少なくとも10000周以上は走っていました。
恩師の方からは、何百回と走り方を指摘してもらい、年間チャンピオンを取れる走りができるようになるまで成長しました。
まずストレート。パドックと近いからここはドライバーから人の顔がしっかり見えるのです。
もちろん、ある恩師の人がどんな顔でレース中にサインを送っていたのか。しっかりと今も覚えています。
計測ラインを超えてから。雨上がりの日はこの赤丸部分にいつも水たまりができます。これを避けるのと避けないのとでは1コーナーのグリップがまったく違います。
2コーナー。はじめて走ったとき、スピードが出過ぎて何回も突っ込んだっけ。
3コーナー。黄色い看板で軽く荷重移動のためのブレーキをして、一気に体勢を変えます。
この走りは僕にしか出来ません。と思います。このコースのスペシャルドラテクです。
あんまりアウトからドリフトすると、舗装の繋ぎ目に車が踊らされてノーコンになります。
なのでミドルからの侵入がキモ。
一気に角度をつけて、ここだ!という角度でアクセル全開。クリッピングポイント目掛けて突っ込みます。
この走り方を身に付けたのは、このコースでカートで初めて雨の日に走って、ローグリップな路面をスリックタイヤ(その当時はYRA-1…縦溝タイヤだったから、直進性だけはあった)で走った時に編み出しました。
初めての雨走行も見当山だったなぁ。
4コーナー。昔、同じチームの上のクラスのめちゃくちゃに早い人が車の半分近くを4コーナーの縁石の内側に乗せて走ってました。それを真似ると、なるほどガンガンのせてコーナーを真っ直ぐ走るのが速いことに気がつきます。
タコツボ侵入。ここは目一杯アウトに膨らみます。
多少アウトのグラベルに乗っても、
1個目の侵入でドリフトしながら向きを変えたいから、一瞬草がついてグリップが落ちても問題ありません。
このタコツボコーナー、結構走り方が人によって違います。
ミドルからスピード乗せる派、インベタで最短距離を走る派…。
1個目のタコツボコーナーを曲がった先にあるタイヤまで縁石を跨ぎながらインベタで、タイヤを超えた瞬間にハンドルを左に切ります。
僕はこのタコツボ2個目の脱出が一番苦手です。
恩師にも沢山のアドバイスを受けましたが、どうやって立ち上がれば一番ベストなのか、実は未だにわからない。
7コーナー。知ってる限りではカートコースの中で最も大きくて高い縁石。乗ると空を飛びます。というか過去に飛んだことがあります。
苦手なタコツボ立ち上がりで並ばれたときに、そのまま並んで7コーナーに侵入して、ぶつかってストレートまで刺さったこともあったっけ。あのころはチャンピオン争いのドライバーとバトルしてて、お互いのプライドもぶつかった時。
短いバックストレート。ここで数少ないオーバーテイクポイントの最終コーナーで勝負を仕掛けれるかどうかの見極めが必要な、重要なポイントです。
最終コーナー。
見当山の数少ないオーバーテイクポイント。
なのに、僕はレースのオーバーテイクが本当に苦手で、何度恩師に怒られたことか。
オーバーテイクの方法について、徹底的に教え込まれたのはこのコースの最終コーナーでした。
最終コーナー立ち上がり。ここだけはストレートスピードに大きく影響するので、丁寧な走りが必要です。ハンドルを押さえて車のリアタイヤをインリフトさせてスムーズに走らせる…という、カートの動き方の仕組みもここで学びました。
そんなことを思いながら、この最終走行会の日はカートを始めたころのように我武者羅に150周近く走りました。
一つ一つのコーナーに思い入れがあって、このコースが二度と走れなくなる…となると、この走行日の最後のセッションは本当に感慨深いものがありました。
この日は本当にこのコースを愛している人が集まり、とても楽しく走れたし、とても懐かしい思い出話も沢山しました。
時代の流れには逆らえない…という言い方はとても寂しいのですが、これが現実。
いつまでも、心の中の記憶に残します。
この場所で学んだことはいつまでも忘れません。
もちろん、さっき書いた各コーナーの走り方、思い出もです。
そして、恩師に伝えたい。
ここであなたから沢山色んなことを真摯に教えて頂いたおかげで、このコースでは2回も、
そしてあなたはまだ知らないと思いますが、もう一つ上のステップのコースでもチャンピオンが獲得できました。
あの大きなコースのレースでゼッケン1番をつけたんですよ。
他にも、カート以外の大切なことも沢山教えてもらいました。
昔の僕のブログをしっかり読んでもらっていたから、キリンのビールをたくさん呑みながらきっと見てくれているはず。
今は少し緩く楽しんでますが、それでもレーシングカートを楽しく、家族で続けられています。
見当山がなくなっても、見当山でのあなたの姿は絶対に忘れません。
また、いっぱい話したい事があるので、その時は話をさせてくださいね。